肩書と新しい時代。
今日は年度の終わりの日。
この日を境に私からはいくつかの肩書が無くなる。
会社は手続き上、3月31日を以て廃業手続き済み。
「元経営者」
働きながら通っていた大学院も3月31日付で退学する。
「元大学院生」
肩書にこだわるなと言われていても、組織に属していたことを意味していたので、これで完全に自分を主体とした社会とのつながりはなくなる。
何とも言えない喪失感。
明日は新しい元号が発表される。
平成が始まったのが、小学生の頃だったので、一つの時代の終わりに立っていることになる。
新しい時代の始まりにフリーな自分。
この先どうなるのだろうかと漠然と思う。
もう一度働くための活動をささやかながら始めた。
ゆっくり、トコトコと行こうと思う。
年老いた両親のことは頭から離れないけど、いきなり全力疾走をして、また潰れてしまうともっともっと迷惑をかける。
甘える。許す。気持ちを切り替える。酒をたくさん飲まない。食事をとる。
これができなかった。
今の自分は過去の自分の延長線上にある。
これから気持ちを新たにはじめようとは、ずいぶん虫のいいことだと思っている。
共に住む熱帯魚の手入れをする。
魚は言葉を話さない。魚が話してくれればと思う。
甘えるな。まだ頑張れる。少し休め。酒を飲むな。食事をしろ。餌をくれ。
やっぱり熱帯魚は話はできない。
朝起きて、息を吸って、今日は何かをしようと考えること。
これはある本からの教え。
昨日は社会とのつながりが僅かにあることを確認した。
本も集中して読むことができるようになってきた。
ふわふわとした断絶感が少しおさまる。
今日は何をしよう。今日も歩こう。
少し気持ちを込めて歩いてみる。
昨日あったことを話してこよう。そして、少し先の未来に何をするか話してこよう。
そのために歩く。
また明日。